天に星 地に花

B5のノート

先斗町ひとり歩き

煮詰まってくるとひとり旅に出る。

10年近く前になるが、急に取れた夏休みを使って京都へ行った。よく訪れる大好きな街、大抵ガシガシ徒歩で巡るのでオシャレというより動きやすい服装が多い。その時は思い立っていつものカジュアルな服と靴はキャリーバッグの中に忍ばせ、ヒールにエレガントな服で行ってみた。

何だかそんな気分だった。お化粧もきちんとして、マスカラも重ねづけ。

着いたのが夕方近く、ホテルで一休みしてから地下鉄で移動。とりあえずお酒を楽しみながら美味しいご飯をゆっくり食べたい。

あらかじめ調べておいた、一見さんの女性一人でも気軽に入れておばんざいが美味しいというお店を目指す。開店時間にはまだ少し早かったので、先斗町界隈をそぞろ歩いた。

京都の古い街並みを歩くとホッとする。懐かしいような気持ちにさえなる。

個性のない現代的なピカピカな建物に建て替えて、どこに来ているのかも分からないような街並みが日本中に溢れていて残念過ぎる。観光立国を目指しているのなら、日本っぽい日本情緒溢れる建物を増やせばいいのになあ…。

散歩で適度にお腹が空き、いい時間になったので先斗町の小道に入る。川床も良かったなあ、でも一人で川床なんて変かな?

ヒールの音をさせながら歩いているとサラリーマン風の男性が声をかけて来た。

「xxxっていうお店、知っていますか?」

あら、地元の人と思われたのかしら。。なんだか嬉しいぞ。だが残念ながら京女ではないので、分からないと答えると

「これから出勤?どこのお店?」

と距離を詰めて来た。

え???

よく分からないが、違いますと去ろうとすると

「貴女がいるなら行きたいなあ。なんていうお店?」と重ねて近寄って来る。

んんん?あーそうか!先斗町って女性が隣に座るようなクラブもあるんでした。
そこに勤めている女性だと思っているらしい。いえいえ違いますと歩き出すと、後ろからさらに誘う声が追って来たので無視して足早に行く。

歩きながら、えーー何でーー??お水の女性に間違われるなんて初めてのこと。ってか、華やかな化粧も服装も髪型もしてないし、ましてや美人でもなんでもないので驚きしかない。

でもわたしの中で、水商売の女性=魅力的で美人っていう定義があるので、ちょっと誇らしげな嬉しいような気持ちになった。わたし、意外とイケてる??旅先の開放感で、華やかなオーラでも出ちゃってた?笑

ちょっとニヤつきながらお目当の店に着き、カウンターに座りおばんざいと鱧で一杯。お酒で気持ちがほぐれるとふと気づいた。

あーあれは新手のナンパだったのだな。笑

出張のサラリーマンっぽかったから、旅の恥はかき捨てでちょっと遊びたかったのかも。

自分の勘違いに、ちょっと苦笑い。
冷酒はすっきり辛口で、ほんのり甘く、京都の夜はまだ宵の口。

 

「もくさん」の話

子どもの頃、悪戯をしたり駄々をこねたりすると、決まって親は “もくさんが来るよ!” と脅した。

「もくさん」は今で云うところのホームレスで、昔は「お乞食さん」と言っていたが、ウチの近所では何故か「もくさん」と言っていた。

「もくさん」は「モクさん」かもしれないし「杢さん」だったのかもしれない。男の人だった。

近所をウロウロしていたもくさんは、いつも同じ人だったように思う。山田さんという広い敷地のお屋敷が空き家になっていて、舗装されていない道のカーブのあたりから少し引っ込んで入り口があり、鬱蒼と茂った庭木が暗く奥に続いていて、昼間でもちょっと恐い場所があった。もくさんはよくその辺りにいた。

子どもの常で、大人の目を盗んで空き家になっている山田さん宅にはよく忍び込んだ。入り口こそ暗いが、敷地内に入ると思いがけず明るく広い空間が広がっていた。大きな平屋の家は厳重に戸締りがしてあったが、もともと大きな農家だったらしく、広い軒先の小屋なども建っていた。

屋敷と言っていいほどの平屋を取り囲む庭は、柿の木もあればイチジクの木もあり、四季を通して虫と花の楽園だった。ひとりでは絶対に近づかないけれど、友達が4人も集まると、あそこに行こうと示し合わせる場所だった。

食べられる実のなる木が数種類植えられていた敷地内で、今思うと、もくさんは寝起きしていたのかもしれない。

親が脅すので条件反射的に怖がっていたけれど、彼はただ道端に座り込んでいたり、のろのろと歩いているだけで、子どもには何の興味も示さなかった。

彼の風態はいかにもだった。怖いから近寄ることは無かったけれど、例えば母親と買い物に行く途中や、友達とじゃれ合いながら歩いている時にすれ違うことはあった。

そんな時、母の手にしがみつくようにしながら、或いは友達と道の端に寄りながら、恐いもの見たさで横目でもくさんの様子を見つめた。

伸び放題の髪はところどころ固まり、何年も櫛を通していないのは明らかで、土ぼこりが黒い髪を茶色くしていた。焦げ茶色のような、黒に近い紺色のようなコートを着て、その下の服は擦り切れ、穴が空いてボロボロだった。そして大きな頭陀袋のような物を担いでいた。どんな顔なのか分からないほど垢や土で真っ黒な顔には髪が被さり、全体的に埃っぽかったが目だけが潤っており生気を感じた。そしてとても臭かった。

親たちは子どもが言うことをきかないと、「もくさんが来るよ!」とか「人さらいが来るよ!」と言って脅したので、近所の子どもの間では、もくさんは人さらいで、あの頭陀袋に子どもを入れてさらうのだ、なんていう話がまことしやかに流れていた。いつの時代でも子どもというのはちょっと怖い都市伝説が好きなものだ。

私の子ども時代には、もくさんみたいな人は町中でよく見かけた。同じ人かと思うほど風貌は似通っていた。
お祭りに出かけると屋台が並ぶ参道の片隅に、片腕や片脚のない軍服を着た人が物乞いをしていた。傍には看板のようなものが立っていて、そこには墨で黒々と癖の強い文字で何かが書かれていた。何と書いてあるのか読めなかったけれど、その筆で書かれた文字の形や墨の濃さかから怒りが感じられた。怒りと、孤独と。

思い返せば終戦からだいぶん経っていたけれど、あの人たちは果たして本物だったのか。終戦記念日が近づくとテレビはこぞって戦争の特番を放送していた。貧しさは分かりやすくすぐ近くにあって、親たちはそれを実体験した世代だった。

親は教育者だったが、人格者ではなかった。もくさんのような人たちに手を差し伸べるでもなく、ただ軽蔑と侮蔑と恐れの感情を持っていただけに見えた。

父親は東京の出で子どもの頃には戦争を経験しており、すぐ上の兄は兵隊として戦場で戦ったという。貧しくは無かったが豊かでもなく、戦後は大学に通えたがギリギリの暮らしだったらしい。

母は兄弟姉妹がたくさんいる中の長女で勉強も出来たことから家族の中で唯一大学へ通ったという。家族を背負っての勉強、家から最寄りの駅までの道は舗装されておらず、雨降りの時などは革靴を鞄の中に濡れぬように入れて、駅で足を洗ってから革靴に履き替えたという。そんな時代が、この日本に確かにあったのだ。

父も母も貧乏を憎み、ゆえにもくさんを軽蔑し恐れたのだろう。彼はどんな人生を歩み、もくさんになったのだろう。
彼の目には、この世界がどのように映っていたのかな。。。

丸太の電柱がコンクリートの電柱に変わる頃、いつしかもくさんも見なくなった。

 

 

読了『きのね』宮尾登美子 著

スイーっと 初夏の空

市川海老蔵さんがコロナ禍で延期となっていた、團十郎白猿を今年ようやく襲名することになったとニュースでみました。

今はどうやら鎮静化しているようですが
春も終わる頃、ネットニュースでちょいちょい見かけた市川海老蔵さんと小林麻耶さんの戦い…ちょっとビックリしました。麻耶さんも麻耶さんですが、海老蔵さんも海老蔵さんだな^^;

基本的に興味はないのですが、そういえば
海老蔵と言えば昭和の昔、『海老様』ブームなるものがあり
サザエさん」の作者である長谷川町子さんの「サザエさん打ち明け話」という本に、海老様に銀座で偶然会ってお茶したっていうエピソードがあったなぁと…

探してみました。
ありました。

著作権等の心配もあるので中身は出せませんが
歌舞伎が大好きだった長谷川さん、

インタビューの仕事はしりごみするくせに「えび蔵さんなら」と、条件つきで、イソイソと婦人公論を始め、あちこちに楽屋訪問をかきました。伏目がちで、インギン 無口な人でした

ある日銀座の真ん中でバッタリ出会い、話のつぎほに困り、うっかりお茶に誘ったら意外にも「はい」というお返事で
一人で喫茶店に入ったことなどなく慌てて手近な店に入り、一番高価なショートケーキを頼んだものの、実は甘いものが苦手な町子さん
えび様も辛党ということを思い出し、何の話をしたかも忘れてしまった
というエピソードでした

この方は今の海老蔵さんの祖父にあたる方で、そういえばこの方をモデルにした小説があったはず。。。
うろ覚えにはグーグル先生です。ありました。

正確には、今の海老蔵さんの祖父にあたる11代目市川團十郎の妻をモデルにした小説でした。
宮尾登美子著、『きのね』

朝日新聞朝刊で1988年9月〜1989年11月まで連載されていた小説だそうです。

ノンフィクションではありませんが、取材に取材を重ねて執筆したもので
若干の誇張やフィクションはあるものの、ほぼ事実なんですって。
亡き12代目團十郎(現海老蔵さんの父)をとりあげた産婆さんを見つけ出し取材もしているとか。

これは興味津々。ワイドショー的好奇心が湧いてしまい、早速図書館で借りて読んでみました。

上下巻でしたが面白くて寝る間も惜しみ、2日で読んでしまいました。

作中では登場人物の名は変えてあります。

物語は戦前の昭和初期、行徳出身の貧しい家に育った光乃が、口入れ屋の紹介で歌舞伎役者の家の女中として働き始め、雪雄(=9代目海老蔵=11代目團十郎)と出会い、徐々に惹かれ、雪雄に滅私ともいえるほど献身的に尽くし、彼の子供を産みます。主人と使用人、という身分のまま女児も生み、2人の子を産んでから実に7年後に結婚、お披露目となります。

実際、えび様として人気絶頂にあった役者に隠し子があったとして大騒ぎになったそうです。

物語は、晴れて雪雄の妻となった光乃が献身を尽くし、雪雄の死後10年後にこの世を去るまでが描かれています。

宮尾登美子さんの小説は、『蔵』と『天璋院篤姫』を読んだことがありますが、一見頼りなさげで弱そうな女性が実は芯が強く、逞しく生き抜いていく様が力強い。

昭和初期からの物語なので、今では考えられない凄まじい場面が多々出てきます。主人公の光乃が貧しい家の出身で、大抵のことは耐えてしまうし、質素な生活が身についているからなのかも知れませんが。。

そして雪雄は頑固で几帳面で癇癪持ち、最初に娶った妻は格式ある料亭の子女で、ばあや付きで嫁いできます。妻もばあやも悪い人ではないのですが、役者の家のなんたるか、雪雄の気難しさを全く分かっていないので、少しずつ機嫌を損ねていきます。のどかなお嬢様とお節介なばあや、繊細で神経質な雪雄。数々の行き違いが重なり、とうとう癇癪玉が爆発し、食事の乗ったちゃぶ台を力任せに足で蹴っ飛ばす、妻を張り倒す。。
この最初の妻とは半年も持たず別居と相成ります。

癇癪は雪雄付きの女中になった光乃にも容赦無く、それを彼女はただじっと耐えるんですね。平手打ちで頬を張り飛ばされる、背中を蹴られる。。

考えてみればあたしは太郎しゅうさんの愚痴をぶちまける穴、坊っちゃまの憂さの捌けぐち、いまに体中傷だらけになって倒れてしまうかもしれないという恐怖はあるものの、しかしいまは何より、雪雄の襲名の舞台を成功させてあげたいという気持ちのほうが強かった。

時代というのもあったんだと思う。今は体罰は許されませんが、私が子供の頃は生徒を叩く教師も当たり前にいたなぁ

雪雄の手の早いくせを、太郎は「親父さんゆずり」ともいうが、しかしどの男をみても、生涯人を殴らずにすんだというひとは先ず無いし、早い話が光乃の父親も、女房の折檻は日常茶飯事、子供たちはそれを見馴れて育って来ている。

戦前の昭和の時代はこれが日常だった。全てがそうとまでは言えなくても、そんな世界が存在してた。その時代に生まれなくて良かった。。いや、もし生まれていても、生まれた時から周囲の状況がそうだったら当たり前と思っちゃったかも?!

なんか、今年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』を連想しました。珍しく毎週楽しみに観ているのですが、鎌倉幕府黎明期を描いているので、戦や企みで人がどんどん死んでいくんですね。騙し打ちで殺されていく。現代の感覚でみてしまうと、もう人があまりに殺されていくので苦しくなってしまうのですが、鎌倉時代のあの頃の武士は、食うか食われるかで生きていたのだし

閑話休題

壮絶なDVにドン引きしつつも物語にのめり込んだのは、宮尾さんの筆致の巧みさと、ただひたすらに雪雄のためを思い、尽くした光乃の運命が知りたかったから。

物語では雪雄の子を孕んだ光乃は日陰の身であるが故に、何と自宅で一人っきりで出産するのです。しかも初産ですよ。初めての妊娠、そして出産。
誰も助ける人のいない、ひとりっきりの家で、便所で出産するのです。

トイレではないです。

現代の、水洗で蓋が自動で開くような清潔で綺麗なトイレじゃなく
戦前の汲み取り式のボットントイレです。
今の若い方は想像つかないかも知れない。

ウチは片田舎なので、小学校低学年まではボットントイレでした。腰掛け式の水洗トイレの方が珍しかった時代。スクワットのようにしゃがんで用を足すのです。便器には穴が空いていて、その下には排泄物やら拭き取った紙やらが浮いているのです。
そんなトイレで、たった一人で初産ですよ。
幸いにも赤ちゃんは落ちず、受け取ることが出来て
その後、産婆さんが来て処置をしてくれるのですが

息を詰めるようにして読んでいました。
読み終わって、母子ともに健康と分かると、はぁぁぁぁーっとため息をつきました。

何がいいのか悪いのか
その当時、真っ最中にいるときには見えてこないことも多い
それでも、この現代に生まれていて良かったなと思ってしまいました。

この小説では男はクズ

今の海老蔵さんは、祖父である11代目團十郎にそっくりと言われています。
ご本人も祖父の芸を見て、心を入れ替えたとおっしゃっているみたいですね。
写真を見ると、なるほど、そっくりです。

ってことは、、気質も???

いやそこは分かりませんけれど

現代の海老蔵さんは、植樹をしたり歌舞伎の新たな局面を探っているように見受けられ、ちょっと尊敬の念を抱いていたのですが
海老蔵さん関連の話題をネットニュースで読み、さらにこの小説を読んで見方が変わりました。

表に見えている顔だけが人の全てじゃない。
誰しも暗い部分を持っている。
・・・考えてみれば当たり前のことなんですけど。

たぶん彼が見せたい部分を見て判断していたんだと思う。

それだけじゃないもんね。物事は多角的に見ないと。

伝統文化を継承することはとても大切だし、絶やさないで欲しい。
そう思う反面、魂の進化と共に変えるべき悪しき習慣は変えていって欲しいなと思います。

とは言え、役者というのは人を魅了するのが仕事。
『色』が芸を磨く一面もあるのでしょう。
海老蔵さんの祖父にあたる團十郎さんも、妻の他に何人かの女性がいました。

人は多面体だから、一面だけを見てこの人はダメ最低だと決めつけるのは
自分自身をも苦しくさせる。

歌舞伎という伝統芸能を繋ぐ重責に耐えられる素質や市川團十郎という歌舞伎役者の類い稀な才能と、舞台から降り素のままに戻った時見える性質を同じ土俵に上げるのは違う気がする。
それはそれ、これはこれ、みたいな。

そう言えば、とあるSNSで内要チェックしてからすぐにその方をフォローした場面に遭遇したことがあり、その気軽さに驚いたことがあるのですが、あれはナンパだったのか。。。

ま、どうでもいいですけど。

後世に伝えられる派手な存在の側には、それを支えたたくさんの人の苦労や涙、血が混じっていることを覚えておこうと感じた一冊でした。

 

 

ドラマ『海の見える理髪店』が良かった

ひと月ほど前の話。
5月9日にNHKBSで放送された『海の見える理髪店』が秀逸でした。

予告を見て、これは好きなやつだ!見逃すまい!とアラームまで設定して待ち構えていたほど。

海辺の小さな理髪店に若者(藤原季節)が訪れた。老店主(柄本明)は嬉しそうに調髪に取り掛かり、問わず語りに自らの人生を話し始める。家業の床屋を10才から手伝い、初めての仕事は兵隊に行く常連客の丸刈り、順調だった店が傾き酒におぼれ、妻に暴力をふるって離婚されたこと……。そして店主は突然、「人を殺めたことがある」と告白をする。なぜ、若者はこの理髪店を訪れたのか? なぜ、老店主は自らの人生を語るのか?  ーNHK HPより

どこかで見たような田舎道を走るバスの中にたった一人ポツンと座る青年、というシーンから始まります。青年役の藤原季節さんを初めて知りましたが、瞳の印象的な役者さん。

紗のかかったような白っぽい映像がこの物語の世界を創り上げていて効果的だったし
主演の柄本明さんが人の善良な面と醜悪な面を見事に演じていて、引き込まれるように観入ってしまいました。

腕の良い理髪師を演じる柄本さんの道具を扱う仕草や手つき、手順など、無駄な動きが一切なく、流れるように美しい。職人技を鑑賞しているかのようでした。
なるほど、実際に藤原さんの髪を切りながら撮影されたそうです。
理髪師の仕事をきっと全集中して勉強されたんだろうなぁ
本当に見事でした。

ドラマは店主の昔語りで静かに進みます。

人目を避けるような場所に建つ「理髪店」。
その庭で風に揺れるブランコ。

鏡越しに対話する店主と青年。

もしかして、、という予感は確信へと変わります。

散髪を終えた時の店主の振る舞いに、心が震えました。

 

印象的で心に刺さった言葉があります。

鏡の中の相手とは握手が出来ない

親しい友達も仲間もいなかった店主。
せっかく得た仲間も失ってしまいます。

自分のことしか考えてなかった。相手のことなど見てなかった。見てるようで見ていなかった。ちゃんと相手を見ておらず、向き合ってこなかった。

鏡越しの関係。

鏡越しに会話はできる、相手もわかる。
でも、鏡ではなく実際に向き合うのとは当然だけど決定的に違う。

 

店主はまるで私かと思う。
私も自分のことばかり考えているから。自分優先で自分中心だから。
相手とちゃんと向き合ってこなかったから。

鏡越しではなく、ちゃんと相手を見よう。向き合おう。
気づいた時がそのタイミングだ。遅すぎることはない。
いくら年齢を重ねていたとしても。

 

目先のことや派手なことに惑わされず、本質を見ることができる
そんな人間になりたいと思いました。
そのために、魂を磨くために私はヨーガに出会い、聖典を学んでいるのかなと思ったりもして。

 

荻原浩さん著の原作があり、文庫化されてる!読んでみようと思います。
読んで、そしてもう一度ドラマが観たいな。

今のところ再放送の予定はないようですが、素晴らしいドラマだもの、きっと地上波での再放送があるはず。。

 

もう一度観たい。静かで激しいお話でした。

www.nhk.jp

 

皐月朔日、新月の魔法

今日は新月、20:30頃に双子座で新月を迎えるという。
太陽星座は牡牛座だけど月星座は双子座なので、何となく特別感があったり。
今日を境に月は少しずつ満ち始める。スタートのムードが漂ってる。

旧暦では今日から皐月。
新しい月に相応しい、皐月晴れの夏日でした。

新月は、地球から見て太陽と月が同じ方向にあり
意識(太陽)と無意識(月)が出会うポイントとされ、心の中にある願望を意識化するのに良いタイミングと言われます。

ヨガを始めてから月の満ち欠けを意識するようになり、「新月の魔法」なるものを知りました。新月に願い事を10個書くと叶いやすいとか。

無意識を意識化することで、スイッチを入れるって感じ。

願い事は、あくまで『自分』基準。

例えば「○○くんが私を好きになりますように」なんてのはNGで、
「私は、○○くんに好かれるほど魅力的な女性になりました。」ならOK。言い切り形で書くのもポイントらしい。

実際、この「新月の魔法」を毎月嬉々として熱心に書いていた頃は、本当に願いが一つ、また一つと叶っていって驚いた。
大好きな街に住めたり、年の1/3をインドで過ごせたり、憧れのスタジオでクラスが持てたり。

いつしか生活に追われて書かなくなってしまい、比例するように頭の中もとっ散らかって、迷いや戸惑いが多くなっていました。
落ち着いてきた今、また始めるのも良いかもしれない。
思い出した、ってところがグッドタイミングだったりするし。

新月の魔法」は、他力本願じゃないところがいいよね。

自分が何を望んでいるのか、どうしたいのか、これからどう生きていきたいのか

自分自身を見つめる良いタイミングになる。

SNSが発達し情報がどんどん流れてくる今、ともするとその情報を追いかけ続けて
じっくり考える、自分なりの意見をまとめる、なんて機会が少なくなってた思う。

新月のタイミングで自分を見つめ直し、自分の中に種を蒔く。